FC2ブログ

74年前の祖父が編者の”子供の病気”啓蒙図書発見

宮城県石巻市に親せき(母のいとこ)を震災後初めてお見舞いに行きました(2011年4月ブログ”無事だった親せきのおじさん 参照)。

この人は僕の祖父の話題をよく出します。
持参のPCで祖父の写真をUPしたブログ(2008年5月”僕の祖父は外国人?参照)を見せようと氏名で検索しました。
そのブログURLのほかにもう1件、祖父が編者と思われる古本販売のURLが出てきたのです。

「三共製薬 啓蒙図書 編者伊庭野薫(いばのかおる)昭和14年発行 3500円」でした。
祖父と母
祖父 伊庭野薫(故人)
祖父伊庭野薫
祖父と長女(幸子 故人、僕の母)      

祖父が戦前に三共に勤めていたことは知っていたので、祖父だと確信しました。
その瞬間、ためらわず申し込み手続きをしました。
「こんな本、僕が今買わなかったら、もう誰も買わないだろう」と使命感からの行動でした。
注文を受ける古書店の人も、「買ったのはどんな人だろう」と思うかと、備考欄に”編者の孫です、僕のブログに伊庭野薫の写真と話題を載せています”と追記しました。

翌日、本を送付した旨の案内メールをいただき、「ブログを見ました、、」とコメントをいただきました。

伊庭野薫本表紙
三共製薬 厚生保健 小児科の巻 の表紙

伊庭野薫本裏書
その巻末 昭和14年 東京市 が興味深い

55年前?に他界した祖父が、74年前に編纂した本が今、小さな人の縁をつくってくれました。
お墓で手を合わせるより、ちょと素敵な供養ができたように思います。
B5版63ページの小児科の啓蒙図書は今読んでも通用するような内容で感心しました。

ご興味の向きは下の”拍手”からコメント送信してください。PDF65ページをメール添付でお送りします。もちろん無料です。
スポンサーサイト

無事だった親戚のおじさん

宮城県石巻市に遠縁の親戚がいます。80歳に近い夫婦で、自宅は津波震災の真ん中の平地でした。テレビでの様子から、これはかなり難しいことになってしまったな~と思わざるをえませんでした。

10日間は電話をかけ続けました。

その後、NTTの緊急時伝言ダイヤルに登録してみました。
24時間で消去されるのですが、3回伝言を入れ直した直後、”所在はわからないが無事”の知らせが、僕の知らない、その方の息子さんから入りました。

さらに探索は続きました。
今度はインターネットです。yahooの緊急人探しサイトで検索をしました。同姓同名の数人の中からその人が見つかりました。学校の先生だったため、心配した教え子たちが情報交換をしていたのです。
自宅は水没したけれど、2階が使えるので、避難所から自宅に戻っていたのです。
連絡をとった教え子さんから無事を確認できる写真つきメールも届きました。
元気だった安部正勝夫妻

ほぼ、同時に、市役所づけで出した往復はがきの返信が、本人から届き、携帯番号もわかりました。

電話をかけてびっくり,東京に詳しいおじさんは「今回の経験から考えると、東京は危ないねー」とこちらの心配をしてくれているのです。
特に地下鉄が心配だというのです。

あらためて、身の回りの危険を考え、対応することにしました。
(最近、房総半島の市原市に車で行きましたが、おじさんの言葉が気になり、レインボーブリッジは避け、湾岸道路を使いました。)

僕の祖父は外国人?!?

母の法事で兄弟が集まりました。孫に当たる子供たちも一緒でした。当然、母の思い出話がでました。
母は、僕が子供の頃、自分の鼻が高いことを気にしていたことを思い出しました。
そして、その父親、つまり僕のおじいちゃんは、もっと外人ぽい、堀の深い、今で言えば小顔の人だったことを、その場の子供たちに話しました。
一緒に歩くと、通りすがりの人が”外人だー”と言ったりすることも聞いていました。
”東北の出身だったから、ロシアの血でも流れていたのかも、、”と僕が冗談のつもりで言いました。

祖父と母
祖父伊庭野薫(いばのかおる)

祖父伊庭野薫
祖父と母(角田幸子 65年前の写真です)
(写真復元協力 建築写真家 牧野完治さん)

すると兄が「それは可能性がある話だと聞いてるよ、、伊庭野(いばの)と言う苗字はイワノフというロシア名からきているという説がある」と言うのです。
その場の人はみな、急に自分が混血だと知らされたように感じたらしく、一瞬空気が凍りました。顔を見渡せば、どう見てもみんな日本人。なんとなく安心してどっと笑いが起こりました。
イバノはイワノフなのか!!!
「話しとしては面白い」と納得し、母の法事にいい話題だったと僕もにっこりしていました。

ついでに母、幸子の少女時代の写真もUPしておきます。

幸子少女時代
じつに80年以上、昔の写真です。